認知行動療法家は笑う〜第3部:不景気とサッチャーと認知行動療法と―社会を見据える

更新日 2023年05月18日 | カテゴリ: 専門家インタビュー

大好評の、認知行動療法家と力動的精神分析家の特別対談第3弾(最終回)です。社会の変化とともに変わりゆく心理療法は、一体どうなっていくのか。心理療法家たちの本音を覗きます。

参考:認知行動療法家は笑う〜第1部:認知行動療法とヒーリングは何が同じで何が違うのか?
参考:認知行動療法家は笑う〜第2部:認知行動療法はなぜ研究を重視するのか?

心理療法はこれからどうなっていくのか

小堀

この対談の「実際的な」テーマは、おそらく、「これからの時代、心理療法は生き残れるのか」だと思います。長らく好景気がやってこないので、 CBTも含めコストのかかる心理療法は、消えていく運命にあるのか。日本の精神療法は、CBTを保険点数化するなど、少なくとも医療の分野で生き残る仕組みを作った。

東畑

確かに小堀先生と僕が共通しているのは、心理療法が生き残れるかという問いに対して切実な気持ちがあることだと思います。僕の場合、特に力動的心理療法が生き残るためにはどうしたらいいかというのは大きな課題です。

それは具体的には、次の時代において、いかにしてユーザーたちに心理療法を選んでもらうのかということです。

このとき、大切なことは、よく言われるようなCBTと精神分析の競争ということではなく、生物学的精神医学による薬物療法など、外の世界との競争を考えることだと思います。あるいは僕が言うところの「野の医者」や新宗教との競争です。

そのためには、現在僕らがどういう社会を生きているのか、そしてその中で心理療法がいかなる役割を果たしていくのかを考える必要があります。心理療法は新しい社会で何を人々にもたらすのか(そして、当然、何を奪うのか)、それが問いです。

CBTの「本来の自分」に紛れ込んだ「経済活動をする人間」像

東畑

そこでもう一度、認知行動療法(CBT)に戻ります。僕が思うのは、その人本来のあり方を回復するっていうのは、心理学的治療文化に共通のテーゼだと思うんです。だけど、何が「本来」なのかが、学派によって違うと思うんですね。認知行動療法の言う「素質や持ち味をうまく機能させる」というのは、他の心理療法もそうだと思うんです。だけどたぶん、何を「素質」とし「持ち味」とするかに差異があると思います。ここに認知行動療法の思想が宿っているように思います。

小堀

ひとつ思い出したのは、CBTが福祉国家と協働するときに、「本来の自分」に、経済的な視点が紛れ込んだことです。失業手当の額ではなく、給付数を少なくするため、「経済活動をする人間」像が、2006年から始まった労働党の政策を後押しすることになりました

東畑

エコノミックな意味での健康!これは面白い。

小堀

リチャード卿という、London School of Economicsの幸福経済学者と、第2世代CBTの代表、David M Clark がタッグを組んで、労働党の政策を手伝いました。CBTに限らず心理療法を広めれば、人々は復職し、経済効果が高まるだろうと、当初は予測したんです。ただ、好景気の時期に政策を始めて、リーマンショックに進んでいったので、 復職率までは高まりませんでした。でも、そういう論理と予測があったから、税金を投入して政策を推すことができた。

東畑

すごい面白いですね。
CBTの広がりには経済学的発想との親和性があったのではないかと思っていたんです。グーグルで生産性を上げるためにマインドフルネスをやっているというのはその象徴ではないかと。

すると、ここで、いかなる経済階層にCBTが最適かという問いがありえます。力動的心理療法は比較的アッパーミドルによってきたのではないかと思います(もちろん貧困層への力動的心理療法は積極的になされていますが)。

小堀

ああ、なるほど。精神分析(※編注:力動的心理療法の一形態)はお金かかりますしね。このときの政策を推したのが労働党なので、ミドルか、それ以下ですね。CBTがターゲットにしているのは。もともとは、Oxford の知識層を対象にして、CBTの実践や研究が発展したのですが。

「物語的に生きる人間」から「経済的人間」への再帰の中で発展したCBT

東畑

日本ではユンギアン(編注:ユング派心理学者)がポピュラリティを獲得した歴史があります。それは日本社会の経済的な状況と不可分なものだったと思います。少しそこを整理したいと思います。

1970年から90年代にかけて、河合隼雄はカウンセリングを日本中に広めました。そこで河合隼雄が語ったのは、人間は物語的に生きるということです、そしてそのとき、臨床の知を「科学の知」と対比的なものとして主張したわけです。科学と戦ったんですね。それは日本社会の共感を得ました。当時は原発の問題や、環境問題などによって、科学的人間の将来に対する悲観論がありましたから、科学から物語へというのは説得力がありました。

そして、何より日本社会は裕福でした。この時代背景は大きいと思います。実際、当時の河合隼雄の本を読むと、多くが「日本は確かに物質的に豊かになった、しかし心はどうだろう?」という前提で書かれています。そういうこともあって、この時代に科学的人間はある部分で物語的人間によって隅に追いやられた感がありました。

しかし、現代になって、科学的人間は経済的人間になって舞い戻ってきたよう思うのです。ポストモダン論の枠組みでいうと、「科学は世界をよくする」という大きな物語が追放された後、個人それぞれの小さな物語を大事にする時代になり、そして今では「でも食えなきゃどうにもならんじゃん」という経済的人間の時代がやってきたということです。

この経済的人間が、効果測定という科学性と相性がいいんですね。でも、それは以前の科学的人間とは違って、もっと露骨です。社会にお金がないからです。 その時代に、CBTはアクチュアルになったのではないかという見立てです。

小堀

そうですね、NHS**というイギリスのヘルスケアの仕組みに、CBTはうまく順応してきました。NHSでは、ヘルスケアを全て税金でカバーしているため、費用対効果を重視するCBTは受け入れやすかった。

**NHS(National Health Service): NHSイギリスの国営医療サービス事業。患者の医療ニーズに対して公平なサービスを提供することを目的に1948年に設立された。

CBTが重視する「費用対効果」

東畑

なぜ、CBTは費用対効果を重視するのでしょうか?

小堀

どうしてでしょう。社会からの要請を受けてそうしている、ということでしょうか。

東畑

ただアイゼンクが最初に効果測定をやったときから、その傾向というか、発想はあったと思うんです。つまり外的な理由で費用対効果を戦略的に追求しているのもありますが、もっと内発的な動機があるように思うんです。そこに認知行動療法のエートスはないでしょうか?

小堀

回数や時間という観点から考えると、あまりに長期化すると、交絡変数が多くなりすぎて、心理療法の効果かどうか検証できなくなりますね。アンチ精神分析の視点から、「効果をきちんと測定しよう」となって、そのためには、短期間で決着をつける必要があった。

東畑

ただ、人間性心理学もアンチ精神分析でしたが、効果測定という戦略は取らなかったんです。認知行動療法の中に、測定することへの愛というのは、ありませんか?

小堀

確かに、行動科学の伝統を受け継いでいるので、(外部から観察可能な) 行動を測定しないと、研究として成立しない、という哲学があります。つまり、行動科学の研究デザインを実践に持ち込んでいるともいえます。

東畑

そのエートスはありますよね。だからこそ、認知が入ったとき、認知を測定しようとしたと思うんです。ベックの尺度が有名ですが。

小堀

外から観察できない「思考の頻度や程度を測る」ことは、 行動科学ではないという主張もあります。ただ、Beckの尺度は、項目を作る過程で、ターゲットとなる抑うつ症状を定義したことに、大きな意義があります。実践的な有用性がある。

例えば、質問紙に回答してもらって、一緒に振り返ることが、心理教育になるし、恊働関係にも役立ちます。また、希死念慮の項目があるのは、本当に大切です。この項目が急上昇したら、アジェンダをすっ飛ばして、危機介入できる。さらに、正規分布する測定ツールを使うことで、認知療法の研究も活性化していった。

認知行動療法が測定する「心」とは何か

東畑

僕はいつも思うのですが、道具が現実を創るという側面があると思うんです。テクノロジーが測定できる部分を心として扱っていこうという力動が働くからですね。つまり、Beckの質問紙によって、「うつ」とは何かが変化するということですね。そういうものだと思うんです。だからこそ、そのとき、測定できる部分の心というのは人間の心全体にとってどの部分なのか、ということを一緒に問わねばならないように思います。

小堀

治癒像に関わるところですよね。Beckが精神分析家だったことを踏まえると、彼のなかで、うつの概念やターゲットが変化していったともいえます。

東畑

そうです。
霊長類学者に聞くと、彼らは心に対して非常に禁欲的なんです。観察のみから心を見ないといけないからです。でもそうすると、おのずとチンパンジーは進化論的な生き方をしているように見えます。子孫を残すために、食物を確保するために、彼らは生きていると。ここで導入されている目的論は帰納的というより演繹的です。

どういうことかというと、測定するための機械はある思想から作られるがゆえに、その機械はその思想を確証するようなデータを弾き出すという循環です。だから、僕が興味を持ってるものの一つは、測定の結果ではなく、測定をする認知行動療法の思想なんです。

話がややこしくなってきたので、ちょっと別の観点から問うてみたいと思います。

精神分析の基本モデルは子育てです。人間のウラには子供や乳児が住んでいて、それをどのように大人にしていくのかというモデルがあります。

これに対して、精神医学は、人間のウラに、神経化学物質を見ます。これのケミカルなアンバランスが病理を創り出すと考えています。だから、バランスを取り戻すことが治療になると言うモデルです。

認知行動療法はどうでしょうか。行動療法は明らかに、人間のウラに動物を見るものと思います。パブロフの犬が象徴でしょうか。認知療法はあやまったプログラミングを書き換えるというコンピューターのメタファーがいいかと思ったのですが、認知行動療法はどうでしょうか。小堀先生の見解をお聞きしたいところです。

小堀

あまり知られていませんが、Ingram と Kendall が80年代に開発した情報処理理論が有名です。CBT中核群の人は、いちどは見たことのある論文で、日本大学の坂本真士先生が、著書で詳しく解説しています。

だから、プログラムを再構築すること、といえるかもしれませんし、今あるもの、利用可能なものを、別の使い方をして、サバイバルするということかもしれません。これだと、問題解決法の哲学に似通ってきますね。CBTも問題解決も、緻密で論理的な収束的思考ではなく、開放的で創造的な「発散的思考」を重視していますから。

社会的政策と認知行動療法の普及

東畑

なるほど。
もう一つ思ったのは、CBTを本当に理解するには、社会制度や経済を踏まえないといけないということです。というのも、小堀先生のCBT論は社会政策や研究、そして治療がパッケージになっているのが特徴だと思います。そしてこれは小堀先生だけではないと思います。実際、認知行動療法の人たちはよくエビデンスを強調しますが、そういうエートスや想像力があるのだと思います。

ここは面白いところです。これは精神分析がプライベートプラクティスの文化であるのに対して、CBTが医療と共に生きてきたことと関係しているのかもしれませんね。バイオロジカルではなく、サイコロジカルな医療化の先兵としてのCBTということを言えるかも知れません

小堀

前回の対談では、イギリスのCBTがエビデンス以上に、Empirical Support(経験的支持)を重視しているという話がありました。改めて振り返ると、CBTのエキスパートたちは、「エビデンス」ってあまり言わなくて、むしろ周辺部にいる人たちがその言葉で騒いでいる気がします。

同じように、エビデンス以上にDisseminationつまり普及を重視しています。これは行動科学の哲学というよりも、社会制度の思想を反映しています。

CBTのエキスパートたちは、継続的な研究をしているので、研究費を獲得しやすい。すると、莫大な人件費と時間が必要な、臨床試験を実施しやすくなる。緻密に計画されたデザインで、優秀なセラピストたちが頻繁にグループスーパービジョンを受けるので、エビデンスが高くなる。

複数の臨床試験の結果、つまり、高いエビデンスが確立されたことで、ある精神疾患の治療ガイドラインに、CBTが推奨されたとします。実は、ここからが大変なんです。

多くの場合、NHSで働く臨床心理士がCBTを提供しています。つまりCBTは全て税金でまかなわれている。そうすると、同じ税制度を共有する自治体では、同じCBTが提供されなければならない。分かりやすくいうと、イングランドだったら、どこに住んでいても、同じクオリティのCBTが受けられるべき、となる。ヘルスケアに限らず、特に義務教育など、イギリスは地域格差を是正することに必死です。税金の使われ方を国民が監視している。

そうすると、2つのことが必要になります。まず、CBTを提供するセラピストは、全国どこでも、同じクオリティを持っていなければならない。このため、臨床心理士の選抜は厳しく (コースの倍率は30倍)、博士課程でじっくり訓練を受ける。

とはいえ、セラピストによって得意分野は異なってくるし、有名大学や研究所にエキスパートが集まってきやすい。だから、システマティックにリファーする制度が必要になる。自分の住む地域で治らなかったら、●●大学に行ってセラピーを受ける、その旅費は自治体が負担する、ことになります。すると、旅費を安くするために、ホテルに泊まってもらい、5日間で集中的に治療する方法も開発されていきました。

2006年の政策では、「大人のうつと不安」を対象にしたセラピストを育成しました。これは、CBTがその思想からはみ出て、プラグマティズムにさらに傾いた例ですね。訓練の期間も短く、クライアントと接する時間も短く、セラピストの給料も比較的安い。「CBTの切り売り」ともいえるこの政策に、アンチを唱えるひとたちもいました。

ただ、この政策の実施に踏み切れたのは、うまくいかなかったら、より専門性の高いセラピストにリファーする制度が、後ろ盾となっていたからだと思います。あと、CBTを受けるまでの待機時間を短くしてほしいという国民のニーズも強かった。最も長い例だと、ロンドンで醜形恐怖のCBTを受けるのに、1年半かかっていましたから。

エビデンスという「不景気の思想」

東畑

CBTが社会政策と一緒に歩んできたという話しで非常に面白いです。そして、行政サービスへの高い意識が、CBTの効果測定や一般的適用可能性を育ててきたということですね。

そう思うと、エビデンスってやっぱり不景気の思想ですね。最近は、いろいろな分野でPDCAサイクルなどと言いますが、それは分配できるものが限られているからこそ、効率性が求められているということかもしれません。経済的人間の健康という問題は、ここにも顔を出しているように思います。

それはともかくもう少し聞かせていただきたいのですが、現在イギリスの臨床心理学には高いステータスがあるわけですが、それはそのような時代を背景にして勝ち取ってきたものなのでしょうか?

サッチャーによって切り崩された精神科医の仕事

小堀

戦後、臨床心理士は、テクニシャンだったそうです。心理検査や神経心理検査をやっていた。河合隼雄の時代と重なりますが、1970年ごろ、セラピーのニーズが高まっていった。イギリスでは心理療法に対するリスペクトが高く、「心理療法をする者は、しっかりと訓練を受けていなければならない」として、修士課程だった臨床心理士のコースを、1980年から、3年間の博士課程にしたそうです。最初に入学してきたのが、50年代生まれの黄金世代で、彼らが臨床心理士になると、イギリスのCBTを一気に花開かせていった。

もちろん、精神科医たちからも、「臨床心理士じゃなくて、自分たちがセラピーやるよ」という声もあった。ところが、イギリスのヘルスケアは、コストを抑えるために、(給与の高い) 医師からコメディカルへ、タスクシフトが今でも進められています。だから、看護師、助産師、臨床心理士の裁量権が大きい。こうしてセラピーは臨床心理士が担当することになったんですけど、皮肉にも、臨床心理士の給料はどんどん高くなっていき、いまや大学教員よりもかせいでいる。

もうひとつ、1980年といえば、サッチャーの時代ですね。彼女は、自分以外の権力を解体しようとしていて、そのターゲットのひとつが医師団体だった。外科医の仕事に比べると、精神科医の仕事は切り崩しやすかったそうです。こうして、臨床心理士が認知行動療法を、他の職業心理士が他の心理療法を、担っていくことになりました。

東畑

ありがとうございます。イギリスでは臨床心理士は生臭い政治的闘争をしてきて、今があるということですね。これは非常に重要な指摘だと思います。日本の公認心理師資格でも医師団体の折衝が最も重要だったという研究が出ています。社会の中での心理療法ということを考えるうえで、この生臭さに対してきちんと対応できるようになることはとても大切ですね。僕らは確かにそういうものに弱いですから。

非常に幅広く認知行動療法について教えていただきありがとうございました。経済的人間やプログラムの再構築、労働者のための心理療法、社会政策との関わりなど、様々なトピックが出ました。でも、まだ僕は認知行動療法がよくわかりません。認知行動療法とは何か、それはもう少し時間をかけて考えたいと思っています。でも、きっとそこから、力動的心理療法についても、新しい問い方が出てくるように思いました。今回は非常に刺激的な対話をありがとうございました。

編集者雑感

対談の最終回では、認知行動療法という「経済的人間観」と親和性のある心理療法がいかに現代の社会的要請に基づいて発展してきたのかが語られました。 社会とともに変化する心の治療のあり方。今明らかに「人間」のあり方が変化しつつある社会において、「心の治療」はこれからどのように変化していくのか。心理療法は、生き残れるのか?認知行動療法家は、力動的精神療法家は、精神科医は、ヒーラーは、あるいはすべての「心の専門家」たちは、どんな未来を描くのでしょう。
心理療法家たちの切実な問いは、全ての心の治療に関わるひとたちに投げかけられています。

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