更新日 2024年08月25日 | カテゴリ: 専門家インタビュー
私の専門は文化人類学です。とはいえ、「文化人類学」といわれても何が何だかさっぱりと言う方が多いと思うので、ここでは医療者でも摂食障害の当事者でもないのに、拒食と過食の研究を15年もやっていた人と考えていただければ結構です。
拙著『なぜふつうに食べられないのか-拒食と過食の文化人類学』(春秋社)は、過食症や拒食症などのいわゆる「摂食障害」を文化人類学的な観点から扱っています。そしてこの本は、これまでの通説と次の2つの点で異なる点に特徴があります。
違う点1: 拒食や過食を続ける人たちを「摂食障害」「患者」とみる視点を完全に取り払っていること
違う点2:「ふつうに食べるって実はとっても難しい」という視点から書かれていること
今回は2番目の点について少し紹介します。
突然ですが、なぜ私たちは味噌汁をストローで飲まないのでしょう?(熱かったら冷ませばいいですよね。具が詰まるならストローを太くすればいいじゃないですか。)なぜ私たちはごはんをビーカーによそって食べないのでしょう?(同じ入れ物です。)なぜ私たちは誕生日に笹団子でなくケーキを食べるのでしょう?(笹団子ってケーキに負けず劣らずおいしいですよね。)
この私のすっとんきょうな質問に、「そういう風に決まっているから」「そういうものだから」以上の答えを提示できる人はいるでしょうか?
結論から言えば、味噌汁をストローで飲んではならないこと、ごはんをビーカーによそってはならないこと、誕生日には笹団子よりケーキがふさわしいことについての合理的な説明はありません。これは私たちの文化が決めた決まり事で、私たちは知らず知らずのうちにそれに沿って食べているため、それが当然だと思っているだけなのです。
食べることに関するきまりは、数限りなく存在します。箸の使い方といった道具の使い方に関するものから、ご飯は茶碗によそうといった、それぞれの料理にふさわしい器の選択、ラーメンはすすってよい、パスタはだめといった料理に応じた口の使い方、さらには、食事をともにする人のタイプに応じたメニューの選択と食べ方など、上げだしたらきりがありません。
しかしおそらくこれを読んでいるみなさんのほとんどが、食事の際にこのようなきまりをいちいち思い返してはいないはずです。なぜなら食べ物についてのきまりは膨大にあり、それをいちいち思い出しながら食べていたら、間違いなくふつうに食べられなくなるからです。
それではこんなにもたくさんのきまりがあるにかかわらず、なぜ多くの人にとって食べることはふつうなのでしょう。それは私たちの身体にふつうに食べるための機能が備わっているからではなく、お母さんのおっぱいを離れた時から、食べるための練習を毎日毎日繰り返してきたことによります。
小さな子は、目の前にあるものを見境いなく口の中に入れますし、逆に気に入らないものは口からべちゃーっと吐きだします。うどんを手づかみで食べてみたり、パンを粘土のようにして遊んでしまったりと、大人がやったらアウトな食べ方を次々と繰り出します。
しかしそのような子どもたちも成長するにつれ、周りから見てふさわしい食べ方を徐々に身につけていきます。そして子どもがそのように変わっていくのは、身体に埋め込まれた食の本能が開花するからではありません。そうではなく、まわりの大人がふさわしい食べ方にその子たちを誘導し、その子たちが教えられた食べ方にのっとって日々食べ続けるからです。つまり「ふつうに食べる」は、本能ではなく、たゆまない練習の賜物なのです。
ひるがえってこれまでの摂食障害の定説をみると、ふつうに食べられることが人間の当たり前としてとらえられていることがわかります。
何の問題も抱えていなければ、人はふつうに食べられる。
そのような見解があるからこそ、ふつうに食べられない人は、遺伝子やホルモンといった身体的な点に何か特別な問題を抱えているとか、ほかの人にはない大変な苦悩を抱えているとか、家族に特別な問題があるとかいった見解が生まれます。治療では身体と心の問題を修正するための努力が行われます。
ですが、ふつうに食べられることはそんなに「ふつう」なことなのでしょうか?ふつうに食べられないことが人間の当たり前で、ふつうに食べられることこそが実は不思議、ということはないでしょうか?
「摂食障害は単なる食の問題ではない」
これは摂食障害の治療に携わる医療者、さらにはそれを経験した当事者からしばしば聞かれるフレーズです。ここには抱えた苦悩をそんな薄っぺらいものとして捉えてほしくないという、治療者と当事者の想いが表れているといえるでしょう。
実際私も15年の研究の中で数多くの当事者と医療者に出会い、その方たちが体験した大変な苦労を何度も耳にしました。
しかしそれでもなお、文化人類学者の私はこう考えます。食は「単なる」という言葉で括れるほど簡単な問題ではない。「単なる食」という捉え方そのものが、拒食や過食を抱える人の苦悩を時に薄っぺらく、時にわかりにくくさせている側面もあったのではないかと。
『なぜ普通に食べられないのか-拒食と過食の文化人類学』は、4年間111時間にわたる当事者へのインタビューをもとに、「食は人間にとってたいしたことである」という観点から描かれた、エスノグラフィーです。
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