セラピストよ、柔軟であれ | 臨床心理士 杉原保史先生 インタビュー

更新日 2016年08月26日 |
カテゴリ: 専門家インタビュー
セラピストよ、柔軟であれ | 臨床心理士 杉原保史先生 インタビュー

杉原保史先生は、京都大学の学生総合支援センター(カウンセリングルーム)の教授として日々学生と向き合いながら、民間のカウンセラー養成や研修会など、一般向けの場でもカウンセリングについてわかりやすい発信を行っておられます。心理療法には様々な学派や方法論が存在し、専門家中心の心理援助になってしまいがちな中、より柔軟で広い視野を持つことの必要性についてお話頂きました。

ーー先生は多様な学派の考え方を柔軟に取り入れていくことが必要との考えをお持ちですが、その背景にはどんな経験やお考えがあるのでしょうか。


私は洞察志向的な心理療法のトレーニングを受けてきましたが、そのやり方ではよくならない方もいるんですね。「思い浮かぶことを自由に話してください」と言っても、何を話したらいいのかわからない。どんな問題を抱えているかについてはたくさん話すけれども、それ以上には何も語れない。そういう場合、長期にわたって対話を続けていても、変化につながってきません。そういう人はたとえばロールプレイやイメージ・リハーサルなどを用いた行動療法で、面接が生き生きと動き出したりするんです。

精神分析を含む洞察志向的な心理専門家の中には、面接の場面を非日常的な空間と捉えて、面接室内における面接者の影響力を過剰に評価する傾向があるようです。つまり、面接室内での相互作用が変化の源泉で、そこで変化が起こりさえすれば、その変化は自動的に面接室外に波及する、といった考え方をとりがちです。現実には面接室外の生活場面で問題が発生しているわけだけれど、そうした日常生活上の話題を表面的なことと捉え、幼少期の原始的な体験を重視してもっぱらそこにフォーカスすることもあります。

心理療法はとても多くの学派に分かれていて、「(うまくいかない事例でも)◯◯療法ではこんな風にやることになっている」とか「自分は◯◯療法家だから、(その症状・問題に効果がある心理療法が他に挙げられているとしても)◯◯療法を行う」といった考え方がまかり通っていたりします。目の前のクライエントにとって効果をもたらすことより、学派に沿った心理療法を行うことが優先されている現実があるように思います。

精神分析の人は認知行動療法を浅いと言い、認知行動療法の人は精神分析を権威主義的な擬似科学だと言う。最近は認知行動療法がどんどん強くなって、精神分析はだめだという雰囲気が強まっているようにも感じますが、それに対しては、そんなことはないよという気がしているんです。

心理療法は密室で行われるから、客観的に効果を評価したり検証したりするのが難しい世界です。自分の立場(学派)をはっきり持っているひとたちは、自分の立場を擁護するような議論をしがちです。それが非生産的だな、という感じはします。一方で、それぞれの学派の中で十分なステイタスを確立していながらも、学派主義を批判し、学派の枠を越えた柔軟で統合的なアプローチを唱えるひとたちもいて、そういった動きにとても共感しますね。

ーー全く違う価値観を持ったそれぞれの学派を統合するというのはどういうことなのでしょうか。


広く心理療法の世界を見ると、ある立場ではやっちゃいけないと言われていることが、他の立場では推奨されていることもよくあります。そもそもセラピストが効果があると思っている要素に本当に効果があるのかどうかもはっきりしているわけではありません。セラピストが特定の介入に効果があったと信じている場合でも、クライエントは全然違うところを評価している、ということもよくあります。

カウンセリングに効果があるのは疑いがないけれど、どこが効果の源泉か、という点は見方によってもかなり違うのです。そういうことから、私はこの業界で常識として多くの人が信奉していることをあまり信じないようになってきました。

私はポール・ワクテルの考え方が好きなんですが、彼は精神分析と行動療法をもとに新しい理論をつくっていきました。ワクテルは心理療法の統合運動の立役者です。精神分析と行動療法は全く異なった方法論を持っているけれど、調和不可能なものではなくて、どちらにもいいところがあり、両方を取り入れていくことで新しい考え方が生まれていくと考えます。

ーー先生は民間のカウンセラーの育成にも関わっておられますが、民間のカウンセラーは専門性にかなりばらつきがありますね。


カウンセラーが高度に専門的な長期にわたる訓練を受けているのか、比較的短期間の訓練を受けているのか、クライエントは知らずにカウンセリングの場にやってきます。民間のカウンセラーの水準を上げていくことも大切な課題だと考えています。

十分に訓練を積んだ専門家から見れば理解しがたいことかもしれませんが、学問の世界から見るとただの雑談としか思えないような会話や、本当にシンプルに受容的・共感的な対応だけでも、それにクライエントは満足し、お金を払って通い続けていることもあります。しばしば実際に変化も生じています。職業的には成立していなくても、カウンセラーとしてはそうした活動を通して人生が充実するし、クライエントも客観的にも良くなっている兆しがあるのならば、それもひとつの心理援助のあり方だと思います。

専門性の高い人はそうしたケースを目にすると「そのケースではうまくいったとしても、汎用性がない」と言うかもしれません。けれど、それは専門性が高いカウンセラーでも同じです。その人の専門的なやり方には合わないケースや、よくならないケースはあるわけです。

訓練の度合いと治療成果には関係がないという研究結果もあるくらいです。実は専門家のほうが準専門家よりも治療成績がいいというデータは存在していません。専門的なセラピーの方法が、実際に目の前のひとりひとりのクライエント全員に一律であてはまるわけではありません。絶対的に捉えるべきではない、と思いますね。

どんなに専門的な面接を続けていても良くならなかった人が、「アルバイトに就いた」「棄て猫にミルクをあげた」「彼氏(彼女)ができた」といった日常生活上のちょっとした出来事で良くなっていくことだってあります。面接室の外での体験とどうつなげていくのか、ということがとても重要です。カウンセリングは生活から切り離された異次元のものでも、魔法でもなく、生活の中で変化を起こしていくためのものだということをよく認識しておくことが大切です。

ーー方法論や学派に囚われすぎてはいけない、視野を広くを持つべきだということなのですね。


はい。そういう意味では多くのカウンセラーがあまり意識していないことで強く思うのは、カウンセリングというのは社会や文化や時代背景と実は非常に深く関わっているものだということです。カウンセリングは個人の人生経験だけを扱っているのではなく、面接にきたひとの生きている社会・文化・時代背景を同時に扱っているのです。自分も同じ文化を生きていたりするのでそこはあまり意識されないけれど、そういう背景が前提で進んでいくものです。個人の特殊性に目がいきやすいですが、ひとが悩んだり苦しんだりすることのかなり部分が社会と影響しあっていますね。

今の時代は悩まないことはできない時代だとも言えます。新聞の政治、経済、科学、どの面をみても人類の生存を脅かすようなリスクが存在していて、閉塞感がつきまとっている。その中において不安障害や、うつ病、進路やキャリアの悩みがあるのだけれど、その背景についてはあまり語られることはなく、面接室で語られるのは常に個人的な問題です。しかしその背景には必ず時代背景があるのです。カウンセリングでクライエントを扱うのは、どんな風にそうした背景の中での苦しみに向き合っていくかということを含んでいるのです。

カウンセラーは自分たちのやっていることは政治とか行政とかに関係なく、個人の主観的な体験を扱っているだけだと思っているけれど、カウンセラーがやっていることはミクロなレベルで社会に関わる仕事であるということです。過去ばかりを見るのではなく、未来を見ていったときに、どういう社会をつくっていくかという課題に向き合っていることでもあります。

いまの時代を生きている人間同士として、どんな社会をつくっていくのがいいことなんだろうかと考えていくことが、クライエントがどうなったときに、この社会の中での健全な生き方になるのかということにつながります。そこを無視してはいけないと思います。

ーーお忙しい中、インタビューへのご協力をありがとうございました。

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