「うつの8割に薬は無意味」−−投薬に依存しない治療のあり方とは | 精神科医 井原裕

更新日 2024年08月21日 | カテゴリ: 専門家インタビュー

獨協医科大学越谷病院こころの診療科教授として精神科医療の第一線におられる井原裕先生は「うつ病は生活習慣病」として、薬物偏重のうつ病治療の現状に警鐘を鳴らし、「安易な投薬の前に、まずは生活習慣の是正を」と訴えておられます。
薬に頼らないうつ病治療の提唱者である井原先生に、近著『うつの8割に薬は無意味』(朝日新聞出版)の真意について伺い、うつ病の治療が向かうべき将来への方向についてお話を聞きしました。

――『うつの8割に薬は無意味』とは、ショッキングなタイトルです。一般に精神科クリニック等で「うつ病」と診断されると、ほとんどの場合に抗うつ薬が出されます。「8割に無意味」とはどういうことなのでしょうか?


5人のうつ病患者さんがいるとして、この5人に抗うつ薬を飲ませれば3人治り、2人は治らない。では、この5人にプラセボ(偽薬)を飲ませればどうかというと、2人は治り、3人は治らない。
つまり、5人のうち2人はプラセボでも治る。2人は薬でも治らない。1人だけがプラセボでは治らないが、薬では治る。

すなわち、抗うつ薬が意味があるのは1人だけ。残りの4人は、プラセボと変わらないということになります。

でも、うつ病患者の大半に抗うつ薬の効果がないことは、数々の研究結果から、精神科医の間では広く知られていたことです。20年近く前のファーブルの論文から直近(2012年)のスチュワートの論文まで、総合的に勘案すれば、うつ病患者さんの中で(プラセボ効果を排除した)薬の効能のみによって症状が改善する患者さんは、少なく見積もれば1割2分、多く見積もっても3割3分程度と結論付けられます。

細かい数字にこだわっても仕方ありませんから、ここでは2割程度に抗うつ薬の効果があると捉えて「うつの8割に薬は無意味」と論じています。でも、「10人中1人にのみ意味がある」とする論文もありますので、書名は『うつの9割に薬は無意味』とすべきだったかもしれません。

ともあれ、軽度・中等度程度のうつ病の患者さんやうつ病にまでいたらないうつ状態の方にとっては、抗うつ薬に依存した治療は、ほとんど意味がないといっていいでしょう。

――薬が無意味なのであれば、どうして医療の現場では投薬が行われ続けていて、精神療法・心理療法などの方法が活用が進まないのでしょうか?


原因は、大学病院等の精神科卒後教育にあります。精神療法のトレーニングがほとんど行われていません。
医師の立場からすれば、「この患者には薬は効かない」と思ったとしても、精神療法を教わったことがないので、薬を出す以外にできることがありません。
患者さんを手ぶらで帰すわけにもいかないので、とりあえず薬を出して、患者さんに少しでも喜んでいただこうと思って、そうしてしまうのです。

医師は薬漬けにしようという悪意を持ってそうしているわけではなく、とにかく、「患者さんのために何かできることはないだろうか」と思った結果、他にできることがないから薬を出してしまうのです。悪意からではなく、善意から薬を出しているのです。

うつの原因となった問題自体を解決

――薬の効果がない8割のうつ病患者は、どうやってうつ病を治せばよいのでしょうか。


ほとんどの患者さんは、うつの原因となった、然るべき事情をかかえています。
最大の問題は、生活習慣です
若者や働き盛りの場合、激しい仕事や長時間通勤からくる睡眠不足。高齢者の場合、不活発な生活からくる運動不足。この、睡眠不足、運動不足に加えて、人によってはアルコールの飲みすぎという問題を抱えている場合もあるでしょう。
だから、まずは、「十分眠る」「十分歩く」「酒を飲みすぎない」、これら三点だけでも確実に実行する必要があります。生活習慣を正すだけで少しでもよくなるようなら、もはや抗うつ薬は飲む必要はありません。

それと多重債務があるとか、上司のパワハラがあるとか、夫婦間の葛藤があるといった場合、問題そのものの解決をはかるべきです。薬でごまかしてもしかたがない。
抗うつ薬を飲めば、借金が気にならなくなるとか、パワハラ上司に耐えられるようになるというわけではありません。

ただ、生活習慣を整え、体調をよくすると、それ自体でストレスに対する抵抗力は格段にあがってきます。
そうやってこころの力が高まったところで、難しい問題の解決へと一歩ずつ取り組んでいけばいいのです。

生活習慣に関して、具体的にお伝えしましょう。
睡眠については、7から8時間の睡眠をとることが必要です。週合計50時間と言ってもいいでしょう。睡眠については、量を質で補うことはできません。一定の長さが必要です。その目安は、1日平均7時間です。

飲酒については、毎日飲酒している人は、1日おきにする。毎日3合の人は2合に、2合の人は1合に、というぐあいに、その人個人の事情に合わせて、少し減らすだけで、7日もすればメンタルの状態はぐっとよくなります。酒をやめることで睡眠の質が格段に良くなるからです
もし、抗うつ薬等を服用している人がいるとすれば、その場合は、完全断酒。「クルマ乗るなら酒飲むな、クスリ飲むなら酒飲むな」ということになります。

高齢者の場合は、まずは、1日の臥床時間を8時間にとどめ、残り16時間は地球の引力に逆らった生活を送ることです。そして、できれば万歩計をつけて、1日2,000ないし3,000歩から始めて、5,000歩程度、できることなら7,000歩くらいまで歩けるようになると、身体の疲労で良質の睡眠が得られます。

生活習慣を整えるには、「睡眠日誌」をつけて自分の睡眠のリズムを把握することをお勧めします。睡眠時間とともに歩数も記録するといいでしょう。
生活習慣を変えるというのは本人の意思の力だけでは難しいので、家族のサポートがあることが望ましいのです。
夜11時には寝て、朝は6時に起きる、毎日30分散歩する、週3日は休肝日などの具体的な課題を設定して、ご家族と一緒に取り組むといいでしょう。

――長期にわたって休職を続けるうつ病患者の存在が、企業内でも問題になっています


米国精神医学会の、精神病の診断基準(DSM)における「抑うつ気分など9つの症状のうち5つ以上が2週間以上続く場合はうつ病である」という操作的診断基準が普及してから、「悩める健康人」までもがうつ病と診断されるようになりました。この診断基準だと、うつ病がどんどん増えてしまいます。

でも、診断基準で「うつ病」とされたとしても、そこから一歩進んで、「うつ病ゆえに休職・自宅療養の必要があるか?」と問わなければなりません。「うつ病だが、休職の必要はない」人はたくさんいます
「うつ病の全症例で休養が必要」というわけではありません。休職の必要性については、個別に判断すべきでしょう。

それと、休職にはメリットとデメリットの両方があることにも気づかねばなりません。休職は長くなればなるほど、カムバックが難しくなります。長すぎる休職は、結局はその人の社会人としての可能性を奪ってしまいます。

精神科医や薬との向き合い方

――先生がうつ病治療の薬物療法依存に関して発信され始めた頃と比べて、専門家の態度に変化を感じられますか?


数年前と比べれば、生活習慣の重要性について理解し、臨床で実践する精神科医は増えました。
ただ、精神科医のすべてが精神療法や療養指導に長けているわけではないので、まだ当分は薬物療法に依存しきったうつ病治療が続けられることでしょう。

――今後うつ病の治療現場はどのように変化していくのが望ましいと考えておられますか?


大きな変化は望めないと思います。大学病院で精神療法を指導できる教師が少ない現状では、今後も「うつの治療=薬の使い方」という図式は変わらないでしょう。

精神科医にかかれば精神療法を受けられるとか、薬物療法だけにとどまらない、もっと有益なアドバイスがもらえると、皆さんは期待しておられるでしょう。
でも、残念ながら現状は、精神科医のレベルがそこまでに達していません。今後も達する可能性は低いでしょう。精神科医に多くを期待すべきではありません。

むしろ、一般市民としては、精神科医にかかるとか、抗うつ薬を飲むとかする前に、ほかに自分なりにできることはないか、と問うほうがいいと思います。これからの時代は、「抗うつ薬に頼らない」だけでなく、「精神科医に頼らない」「医者に頼らない」姿勢こそが必要です。
医療に頼ってしまえば、「悩める健康人」が皆「うつ病」にされてしまうだけです。必要なことは「うつ病」の診断でもなければ、「精神科医による治療」でもなく、ましていわんや「抗うつ薬」なんかじゃありません。
むしろ、健康な生活習慣、こころをはつらつとさせ、からだをいきいきさせるヘルシーなライフスタイルこそが必要なのです。

生活習慣のコーチを見つける

――ヘルシーなライフスタイルを作っていくために、アドバイスがあればお願いします。


ライフスタイルをヘルシーにするということは、言うはやさしく、行うは極めて難しいものがあります。
自分ひとりでは難しいというときに、コーチを持つのは良い考えだと思います。
タイガー・ウッズはゴルフの名人ですが、彼すらコーチをつけています。コーチの方がゴルフは下手なはずです。でも、コーチはタイガー自身が気づかないフォームの欠点などを見て、「ベストのときのフォームとここが違う」といった客観的な指摘をしてくれるのです。

生活習慣を是正するときも同じです。皆、頭ではわかっていても、日々の生活に追われて、気づいたときは生活習慣が乱れてしまっています。ほとんどのうつの人がそうだといってもいいでしょう。
そういうときに、客観的に「最近、ちょっと睡眠が足りていませんね」とか「ちょっとお酒の量が多いようですよ」とか、「このところ、家にこもることが多いようですね」といった指摘を貰えるアドバイザーがいて、「もう少し長く眠りましょう」「お酒を控えめに」「お散歩に出てみましょう」、そんなワンポイントアドバイスを貰えれば、それだけで生活習慣を軌道修正することができて、メンタルの状態もぐっとよくなってきます。

こんな指導を医師ができれば一番いいのですが、そうもいかないことが多いのが現実です。医療以外の場で信頼できる健康アドバイザーを見つけることができれば、はつらつとしたライフスタイルを送るうえで、力強い味方になってくれるように思います。

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