ウラに強くなろうー止まらない芸能スキャンダルと日本人の心 | 臨床心理士 東畑開人

更新日 2024年08月25日 | カテゴリ: 専門家インタビュー

SMAPのウラを見てしまった私たち

芸能スキャンダルの報道が止まりません。毎週毎週、これでもかというほどに刺激的なニュースが飛び込んできます。

中でも、SMAP事件は特筆すべきものでした。多くの人が彼らの謝罪会見を見てショックを受けました。

私もその一人です。翌日、私はSMAP関連のニュースをネットで検索し続けて、5時間ほどを浪費していました。深く後悔しながら眠ったら、夢の中にキムタクが出てきて、名曲「Shake」のバラードバージョンを歌い、メンバーと握手を交わしだす始末です。まったく謎の夢で、自分でも呆れたのですが、それだけSMAPに心を奪われていたということでしょう。

このようなショックを受けたのは何も私だけではないでしょう。多くの記事が書かれましたし、学校や職場でも盛んに話題に上がりました。ニュースキャスターはSMAPは国民的スターなのに、と嘆きましたし、識者たちはSMAP事件が日本のサラリーマンの辛さを象徴するものだと語りました。

私もまた、今回のことは「国民的事件」だったのだと思っています。それは大きな影響力のある出来事だったという以上に、きわめて日本人的な衝撃を与える事件だったということです。SMAP事件は、日本人の心のやらかい場所を締め付けたのではないだろうか、私はそう考えています(さりげなく夜空ノムコウを引用していることにお気づきでしょうか)。

じゃあ、その日本人の心の「やらかい」場所とは一体どのようなものでしょうか。私たちは一体どういう出来事に弱いのでしょうか。

結論から言うならば、私たちは「ウラに耐えられない」ということです。私たちは、ウラを見ると傷ついてしまい、ウラを見られると消え入りたくなってしまうのです。

あのとき、私たちは傷ついたSMAPを見てしまいました。元気で楽しくて明るいSMAPのウラ側に、傷ついていて、生身で生きている人間がいることを見てしまったのです。自由気ままなSMAPのウラ側に、芸能事務所の生臭い人間関係があり、そういうものがウラから彼らに影響を与えていることを知ってしまったのです。そのことに私たちは傷つき、そして実は興奮してしまったということです。

ウラが私たちを傷つけます。ウラに私たちは耐えられません。それは私たちの日常にも繰り返し起きています。ウラを見られたからもう職場に行きたくない、ウラを見てしまったからもうこの人に会いたくない。ウラは私たちを悩ませ続けています。

このコラムでは、SMAP事件をはじめとした昨今の芸能スキャンダルを素材として、日本人の心の傷つきやすさについて心理学してみたいと思います。

「見るなの禁止」とかわいそうな鶴のこと

日本人は「オモテとウラ」を使い分けることで日々の生活をうまいこと送っているのだとよく言われます。私が学んでいる臨床心理学の世界では、そういう風にオモテとウラを使い分けられるところに、人が健康たるゆえんがあるのだと言われています

実際そうです。どんなに腹が立つ上司がいても、会社ではニコニコしていなければいけませんし、どうしてもやりたいことがあれば、オモテではうまく立ち回って、ウラで調整を図る「腹芸」が不可欠です。

「顔で笑って、心で泣いて」という名言もありますね。古い日本語で、オモテというのは「顔」の意味があって、ウラには「心」という意味があります(このあたり、土居健朗という精神分析家が書いた「表と裏」という本に詳しいです)。オモテとウラを使い分けていると、日本という国では円滑に社会生活を送ることが出来るのです。

だけど、ときに人はうまくオモテとウラを使い分けることができなくなります。

例えば、裏切りという言葉があります。今まで見せていたオモテとは違ったウラの顔が突然暴露されてしまって、関係者をひどく傷つけるという事態です。ウラによって、私たちの心はズタズタに切られてしまうわけです。

あるいは、今まで見せていたオモテとは違う自分を、他人に見られてしまうと、私たちはいてもたってもいられなくなります。私たちは人に見せたくない自分を、ウラに隠し持っていて、それがオモテに出てしまうと、すっかり傷ついてしまうのです。

隠されていたウラが暴露されるとき、それは見る側にとっても見られる側にとっても危機的状況なのです。

そのことをよく表しているのが「鶴の恩返し」という昔話です。SMAPが国民的アイドルであるのと同じくらい、鶴の恩返しは国民的昔話です。お話の内容は皆さんご存知だと思いますが、ようは「見ないでくれ」って言われたのに、見てしまうお話です。

「鶴の恩返し」で、主人公が目撃してしまったのは傷ついた鶴です。いい女だと思っていたのに、障子を開けてみたら、自分の羽を毟って、血だらけになっている鶴がそこにいました。このことに主人公は傷つきます。裏切られたと思うからです。当然鶴も傷つきます。恥ずかしい自分を勝手に見られたからです。裏切られたと思うのです。だから、二人は永遠に別れてしまいます。

北山修という精神分析家は、この種の話が日本には溢れていることを指摘し、それを「見るなの禁止」と呼びました。私たちは見てはいけないと言われたのに、見てしまって、そこでお互いに傷ついてしまうという物語を幾度となく反復しているのです。

例えば、それは古くは古事記のイザナギ神話に遡ることができます。この神話でも、イザナギは妻であるイザナミから「見てはいけない」と言われたのについ覗いてしまいます。そこで、腐乱死体になって、青いイナズマの刺さった無残なイザナミを見てしまうわけです(あ、また引用してますよ)。するとイザナミは「吾に恥見せつ!」と言って、恥をかかされたことに傷つき、怒ります。イザナギもまた、醜いものを見てしまったと言って傷つきます(本当に男というのは勝手です)。

こういうことは現代でも繰り返されています。立派だと思っていた父親の情けない姿を見ると傷つきますし、ロックがかかっている彼女の携帯電話を覗いてしまうと傷つくことが起こります。知らぬが仏、臭いものに蓋というのは、日本人の知恵なのでしょう。

隠されたウラが露見するとき、見てしまった方も、見られた方も深く傷つくのです。だから、私たちは周到にウラを隠し、オモテを取り繕って生きているのです。知らないふりをして、色々なことを曖昧に誤魔化しながら生きていくのです。そういう風に、ウラ事情をそっとしておけるのは、心に余裕がある証と言ってもいいかもしれません。

でも、私たちはいつでも余裕があるわけではありません。

ウラが露見したとき

ウラが露見したとき、傷ついた私たちが取るのは、その場を去るということです。例の鶴のように、あるいは休業したベッキーのようにです。

逆もまたしかりです。ウラを見せられた側も去っていきます。傷つき怒ったイザナミから逃げ出したイザナギのように、です。SMAPの番組の視聴率が下がっているというニュースがありましたが、私たちはウラを見せられたことに耐えられず、チャンネルを変えてしまうのです。

私たちはウラに弱いのです。裏切られると許せなくなってしまいますし、ウラを見られたら恥ずかしくて人前に出ることが出来なくなります。

だから去っていくしかなくなってしまうのです。

でも、それでいいのでしょうか。ウラを見られるたびに去っていき、ウラを見るたびに逃げ出していていいのでしょうか。そうやって転職を繰り返したり、友人関係を断ち切ったり、離婚の道を選ぶことで、より深く傷つきはしないでしょうか。

私たちはオモテとウラの両方を知ったうえで、あるいは知られたうえで、付き合いを続けられるようになる必要があるのではないか、と私は考えます。

臨床心理学はそのための知恵を考えてきました。それはその場に踏みとどまって、話をすることです。ウラを見られて恥ずかしいのだけど、逃げ出さずにその場にとどまるのです。ウラを知ってしまって傷ついたのだけど、辛抱強く一緒にいようとしてみるのです。必要なのはライオンハートです(これはほぼムリヤリの引用です。)

たぶん、そのために私たちは話をするのでしょう。

「なんでそこまでして、おらのために反物を織ったんだ?」

「だって、あたいはあんたに幸せになってほしかったんだ」

もし、鶴の恩返しで二人(あ、一人と一羽か)が別れてしまう前に、鶴と主人公の間でそんな話ができていたら、結末は違ったものになったのではないでしょうか。

喋ることは何でもいいのでしょう。とにかく話をすることで、立ち去るまでの間に時間が出来るからです。大切なのは時間です。ウラがあることを飲み込み、消化し、受け止めるのに、私たちは時間を必要とするのです。

ウラに強くなろう

芸能界というのは華々しいオモテの世界です。ウラのどろどろとしたものを隠し、綺麗に取り繕われたオモテで、私たちを楽しませてくれるのです。だから、「アイドルはウンコをしない」のです。

だけど、同時に芸能界はスキャンダルと共にありました。芸能ニュースは美しいオモテのウラ側を暴き続けます。不倫があり、破産があり、麻薬があり、逮捕があります。それも含めて芸能界を楽しむということなのでしょう。

というのも、ウラを知ることで、私たちは傷つくと同時に、興奮してしまうからです。だから、私たちは見てはいけないと言われたものを、覗き見し続けているのでしょう。芸能スキャンダルのニュースが出ると、続報を求めて検索をし続けてしまうのは、ウラによってすっかり私たちが興奮してしまうからです。

でも、この興奮は傷つきと共にあります。

私たちは裏切られ続けますし、恥ずかしい思いをし続けます。多くの場合、そういうときに、私たちは立ち去ります。相手を見限って、最初からいなかったものとして扱ったり、あるいは辞任をすることで、身を隠します。

ウラは醜いのです。醜いは「見にくい」です。だから、見ないように、見られないようにするのです。私たち日本人は、そういう対応で、危機を乗り越えようとしてきました。

だけど、私はそこに踏みとどまることには価値があると思っています。美空ひばりのことが思いだされます。数々のスキャンダルがありながらも、立ち去らずにそこにい続けたことで、彼女には「川の流れのように」という名曲が生まれました。

輝かしいオモテも、あまりに恥ずかしいウラも、立ち去らないで踏みとどまることによって、一緒くたになって、人の心を打つ物語になるということです。そこまで含めて、芸能人は私たちの心を惹きつけているのでしょう。

傷ついたSMAPを見てしまって、私たちは興奮し、傷つきました。ウラ事情を飲み込めない私たちは、つい目を背けたくなりました。 だけど、ウラを見てもなお、一緒にいることには意味がありますし、逆の立場で言うならば、ウラを見られても図々しくもそこに踏みとどまることには価値があります

それはおそらく私たちの日常で起こっていることです。裏切られ、恥ずかしい姿を晒して、それでもその場に踏みとどまることは、大変だけれども、大きな価値があることです。そのために私たちは話を続けるのです。

SMAPを見続けることは、どうやら私たちの心のやらかいところを鍛えて、人生に強くなるということなのかもしれません。

ウラに強くなる、それは生きにくい世の中で、タフに生き抜いていくために不可欠なことなのです。

私たち臨床心理士は、クライエントとして訪れる方々のウラをめぐる悲劇を聴き続ける中で、そういうことを考えています。

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