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臨床心理士が読み解く「インサイド・ヘッド」の二つのメッセージ −−人を変えるのは物語か、神経伝達物質か | 東畑開人

公開日 2015年07月30日 |
カテゴリ: 専門家インタビュー
臨床心理士が読み解く「インサイド・ヘッド」の二つのメッセージ −−人を変えるのは物語か、神経伝達物質か | 東畑開人

上映中のディズニーアニメ映画「インサイド・ヘッド」は「うつ」についての物語です。

主人公の女の子ライリーは楽しい友達に囲まれて、幸せな少女時代を送っていたのですが、父親の都合でそれは突然激変します。自然の美しいミネソタから大都会サンフランシスコへと引っ越すことになったのです。

色々なもの失って新しい環境に放り込まれたライリーの調子は悪くなります。私たちはなにかを失って、それに耐えられないとき、「うつ」になります。彼女もまた悲しくなり、ムカムカし、不安になり、怒りっぽくなって、喜びを忘れてしまいます。

神経伝達物質の妖精たち

映画では「うつ」になったライリーの脳の中が舞台となっています。そこには操縦室があって、ヨロコビ・カナシミ・ビビリ・ムカムカ・イカリという5人(5匹?5粒?)がライリーのこころを操作しています。

お気づきの通り、この5人は脳内のドーパミンやセロトニンといった神経伝達物質の擬人化です。神経伝達物質がこころの状態を決定している、最近の精神医学はそういう風に人間を見ています。こころも生物学的なものだということです。

だから、引越しの影響なのか、あるいはライリーがもともとそういう体質なのかわかりませんが、カナシミが暴走し始めます。操縦室の中でミスばかりして、その影響でライリーの心のバランスは崩れてしまうわけです。カナシミのそういう暴走を、ヨロコビは苦々しく思っているのですが、あろうことか二人は操縦室から放り出されて、ライリーの脳の世界を彷徨い歩くことになるわけです。

そう、これは、神経伝達物質の物語なのです。

冥界下りの物語

その後の展開は、典型的な「冥界下り」の物語です。

冥界下りとは、ルールのわからない異世界に迷い込み、戸惑い、そこで仲間と知恵を得て、元の世界に戻ってくるという物語です。たとえば、「千と千尋の神隠し」もそういう物語です。千尋も確か引越しの影響で「うつ」になっているところから、異世界に迷い込み、成長して帰ってきます。

これは何もファンタジーだけの話ではありません。私たちも人生の中で何度も「冥界下り」を体験します。

人生には不意に襲い掛かってくる不幸(ほんとに色々な種類がありますが)があって、それによって日常が失われます。自分がどこにいて、何をすればいいのかわからなくなるわけです。それでも、私たちは異常事態の中でもがき苦しみながら、大切な気づきを得て、もう一度人生を歩み直します。そうやって、心は成長していくわけです。

インサイド・ヘッドの物語で発見されたのはカナシミの価値です。カナシミなんていない方がいいように思ったりもするのですが、人生がヨロコビだけで出来ているのではなくて、カナシミを味わうことがどれだけ貴重であるのかを、ライリーと神経伝達物質の妖精たちは学ぶわけです。

臨床心理学はカナシミの側に立つ

実はこれは臨床心理学が大事にしてきた考え方です。実際、映画の中ではカナシミが、泣いている登場人物のセラピスト役をする場面まであります。

私たちの仕事はカナシミの声に深く耳を澄まし、そうすることで人生の苦しい時期を支えようとするものです。カナシミを受け入れることで、私たちは大切なことを知っていくという発想が臨床心理学にはあります。

このあたりが臨床心理学と他の心の治療との違いです。例えば、コーチングや自己啓発ではヨロコビを強化することを目指します。ポジティブシンキングというのは、ヨロコビの発想なわけです。実際、映画の中でもヨロコビは異常なポジティブシンキングで、見ていて少し疲れるくらいです。

よく臨床心理学は「マイナスからゼロ」へ、コーチングは「ゼロからプラス」へという宣伝文句を見かけますが、私はそもそも方向性が違うと思います。臨床心理学はカナシミに、コーチングはヨロコビに特に価値を置くということだと思います。

このあたりの心の治療の違いについては、相当にややこしくて複雑なのですが、「野の医者は笑う:心の治療とは何か?」という本におもしろおかしく、そしてわかりやすく書いてあります。著者は私なのです、宣伝なのです(よろしければ!)。

さてさて、そういう意味で、インサイド・ヘッドはカナシミを受け入れて、人生の現実を歩んでいこうという物語です。そして、ここには人生の苦境に陥ったときに、物語を生き抜くことで人生を歩み続けていくというメッセージがこめられています。それは河合隼雄という臨床心理学の巨匠が語り続けたことでもあります。

ライリーが抗うつ剤を飲んだとしたら

しかし!

しかし、なのです。インサイド・ヘッドの面白さは、そういうありふれた結論にあるわけではありません(その目で見るなら、「千と千尋」の方がずっとよく出来ています)。

この映画を見ると、ふと思ってしまうのです。

「あのとき、ライリーが心療内科で抗うつ薬を飲んでいたらどうなっただろう・・・」

そうです。あの操縦室に、暴走しているカナシミを少し穏やかにして、ビビリを和ませて、ムカムカとイカリを落ち着かせて、ヨロコビを励ますようなSSRIくんが登場したら、ライリーはもう少し楽だったのではないか、そんな発想が出てくるわけです。

実際、映画館から出てきた人たちは「今、あんたのなかでイカリが暴れてるよ」「ビビリがいっぱいいるよね」などと、互いにそれぞれの脳の中のことについて会話をしていました。観客は知らず知らずのうちに、人間を脳内の神経伝達物質に操作されている存在と見なし始めていたわけです。

こういう人間に対する見方をローズという社会学者は「神経化学的自己」と言いました。そこからは神経伝達物質によって心の状態を調整しようという発想が出てきます。それは「物語を生きる」というメッセージとはまた別のメッセージです。

「インサイド・ヘッド」の二つのメッセージ

私たちは苦境に陥った時に、生物としての不調である神経伝達物質を調整した方がいいのでしょうか、それとも人生の現実の前で物語を生きることがいいのでしょうか。

もちろん、当たり前のことですが、答えは両方ですし、私たちは時と場合に応じて、お薬を飲んだり、人生と向き合ったりして、なんとか生き延びるのだと思います。私たちは生物であると同時に、人間でもあるからです

それでも、私たちが「心は神経伝達物質の結果なのか、個人的な物語や歴史の蓄積なのか」と問うのは大事なことのように思います。どちらか一方ではなく、両方を見れることは、苦しいときに、ずいぶんと人を助けてくれるように思うからです。

インサイド・ヘッドの面白さは、そういう二つのメッセージを同時に発し続けているところにあるのだと思います。

心は操作されるけど、操作しきれない

それにしても、インサイド・ヘッドを見ていて、私たちの心はかなり簡単に操縦されてしまうものなのだなと思いました。というのも、この映画自体が観客の心を自由自在に操作していたからです。

私自身もピクサーの監督が泣かせようとしているところで泣いて、笑わせようとするところで笑ってしまうのです。まるで感情をコントロールする薬をゴクゴク飲んでいるかのようでした。きっとそういうメソッドやテクニックがあるのでしょう。そういうお手軽なカナシミとヨロコビに浸るというのが、まさにこの映画らしさだったのかもしれません。

そうなのですが、とても悲しい場面で子供たちが次々と劇場から去っていったのは印象的でした。「買い物行こう!」「トイレ!トイレ!」などなど、子供たちが訴えだしたのです。あまりのカナシミに子供の心が耐えられなくて、もうその場面を見ていたくなかったのでしょう。すると、親たちが大慌てで涙を拭いて、子供を連れて劇場を出ていくのです。

私はそれを見て笑ってしまいました。子供を抱えて外に飛び出していくお父さんたちには、親であることの、なんとも言えないおかしみと素晴らしさがありました

さしもののピクサーも、カナシミを強調し過ぎて、劇場に笑えるハプニングが起こるとは思ってもいなかったのでしょう。いとおかし、という感じですね。

そういったことも含めて、この映画はいい感じでした。可愛い映像が、楽しくて、悲しくて、そしていろいろと心について考えさせられる映画です。

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