「自己と他者の調整」から見る心の健康 | 臨床心理士 平井 美佳
更新日 2018年10月02日 |カテゴリ: 専門家インタビュー

自分のやりたいことと人に求められることのバランスを取りながら生きる私たち
ーー先生は「自己と他者の調整」をテーマに研究を続けておられますね。具体的にどんなテーマなのか、教えて頂けますか?
誰もが自分のやりたいことと、人に求められることとのバランスをとりながら生きていますよね。私たちの悩みもほとんどが人間関係と自分自身についてのものです。人が幸せに生きるうえで、「大事な人との関係を維持しながら、自分らしく生きる」という当たり前のことが大切だと感じていて、人はどんな場面でどんな調整をし、自ら選択するのか、というのを研究テーマにしています。
特に大切な人であれば相手のためにできることはするけれど、譲れないことは譲れないと言う。自分自身と他者からの期待とを、状況に応じて主体的に調整しながら人は生きています。
自分が嫌なことを嫌と感じられずに、あるいは、感じていても我慢しすぎていると、不適応を起こしてしまうことがある。課長に言われるがままがんばりすぎて燃え尽きちゃうとか、母親の期待に応えようとし続けるとか。そうして心身に不調をきたした人も多いように感じます。
自他の調整に失敗することで問題が生じる
ーー「自他の調整」とうつ病などの心の病気の間にはどんな関係があるのでしょうか
とにかく相手に合わせて「いい子」や「優秀」でいようと絶え間ない努力をしてきた人たちが、大人になってうまく適応できなくなって、どうしたらいいかわからなくなるという状態が挙げられると思います。
それから、「自分が選んでいいんだ」という気持ちが十分に育っていないと、自分でうまく調整できずに苦しくなってしまいます。自分も、相手も大切にして、支え支えられながら生きる。いろいろな理由で、この「自立」と「関係」のどちらかが著しく阻害されたり、この両者のバランスが取れないと、問題が生じると思います。
周囲の人のために我慢しすぎる傾向がある場合、最初はなんとかなったとしても、やがてメンタルの不調をきたします。例えば、がんばって勉強して、親の期待に応えてきたような子は、ブラックなアルバイトもまじめにやろうとしてしまうという。優先順位をつけられない。その背景には育ってきた長く複雑な過程が影響していることもあるでしょうし、スキルがないだけかもしれません。ロールモデルから学んだり、自身の経験を積み重ねたりして、より上手に調整できるようになっていくのが発達ということだと思います。
ある程度大人であれば、「今自分はどういう状況にいるのか」というちょっと別の視点、いわゆるメタ的な視点を持つことができると役に立つことがあります。壁に止まったハエになったつもりとか、マンガの中で魂だけ体から抜け出て幽体離脱するみたいに、自分を一歩離れたところから見る。hotな自分とcoolな自分。練習が必要かもしれないけれど、そんなふうにして、うまく自己と他者の調整をしていけるといいと思います。
自分の感情を感じ取る力が発達の途中で押し込められて、感じられなくなってしまうケースもあります。たとえば、本当は悲しいのに、怒りという気持ちに置き換えられて、人を責めてばかりになったりもします。責められるので相手も嫌な気持ちになって、関係がうまくいかなくなる…という悪循環。
見かけの裏にある本当の気持ちに向き合うことや、起こっている悪循環を理解するプロセスが必要です。難しいこともありますが、自分の気持ちを素直に感じ、相手に伝えることで、伝わることもあると思います。気づいた時にはもう遅かったとしても、その時の自分はそんなふうにしかできなかったんだと理解することは、その後の人生の助けになるでしょう。
カウンセリングという守られた場所や治療者との安心できる関係の中で、自己が鏡のように映し出されながら、理解を深め、背景にあるものが見えてくることがあります。そうして、次からは自分でもっと上手に調整ができるようになり、次第に自分の選択に自信が持てるようになる。そうして最終的には、一人で歩けるようになっていくことを、カウンセリングでは目指していきます。
ーー人の意見ばかりを尊重して、自分が苦しいと言えずに燃え尽きてしまう。特に日本では、よく聞くケースのように感じますが、この傾向に文化差はあるのでしょうか
文化に関わらず、人が「自分らしくあること」と「大切な人との良い関係」は重要だと思います。ただ単に「自立すべき」または「他者を尊重すべき」という二分法ではありません。ジレンマの程度もいろいろあります。一般の大学生を対象とした私の研究でも、例えば「ランチに何を食べよう」などの深刻度の低い葛藤では他者の意見を立てることが多い一方、結婚や就職などの自分にとって重要な場面では自己主張することが多い、という傾向は日本、韓国、中国、台湾、アメリカなど、多くの文化で共通して見られました。ただし、結婚を親に反対されたらちょっと考えてしまうとか、そういった傾向の違いは多少、文化によって違いが見られました。
研究としては一般的な傾向を見ていますが、個々人はずっと多様です。どの場面が重要かということは人によって違います。個人を援助するときには文化というよりも、その人の重要な他者からの期待や育ってきた環境の中で植え付けられた価値観の影響を考えると、目の前の個人を理解できる助けになります。その人の語りの中で、どのようにその人らしい調整のストーリーが語られるかに注目し、場合によってはそのストーリーを再構築していくことになります。
自分自身が何を選択するか。周囲とのジレンマをどう調整するのか。そういう主体としての感覚が大切なのだと思います。ただ、その人だけの問題ではなくて周囲や、社会の問題であることもあります。カウンセリングで「柔軟に考えよう」と言ったって、個人が頑張ればいいという問題ではないこともある。個人の中のからくりと、そうなってしまう周囲の仕組みや、環境の中の何がそうさせているかの両方を見ていかないといけません。
不寛容な日本社会の中での子育てと葛藤
ーー葛藤が生じやすい場面という意味で、特に問題意識を持っておられる課題はありますか?
そうですね、最近は子育て期の女性の自他の調整の研究を始めたところです。子育てには、言うまでもなくいろんな葛藤があります。自分の中での役割同士の葛藤、自分と他者との葛藤。他者も、子ども、夫、自分とパートナーの親、職場の人、子どもの先生や友だちなど多様な他者がいるため、様々な葛藤が起こり得ます。自分の思い通りにはならいことも多いし、休みもないし、しかも他にも色々調整しないといけない、子育てってすごく大変ですよね。
子どもの発達の責任を全て「親が担う」のではなく「社会で育てる」という視点が必要だと思っています。今は、とても子育てがしにくい社会になってしまっていると思います。社会が、家族に責任を押し付けすぎているようなところがある。
「子育てしながら働け、輝け!」という重圧。子どもがうまく育たないのは親が悪いからだ、と考える人も多いです。そういう世の中に蔓延る思考パターンが、結果としてお母さんたちを孤独にさせるのだと思います。子育てにはもっともっと協力が必要です。
確かにケアの仕事は女性が担うことが多いです。生物的にどちらが向いているという議論もあると思います。でも、文化は人間が造るものだから変えていい。人間は本来、子育てを集団でする動物なんです。現代において「子育ては母親がやるもの」という固定観念は、文化的な制約に過ぎないから、変えられると思います。子どもは今後の社会を一緒につくっていくメンバーなのだからと、みんなが協力して考えられるようになるといい、そのためには何が必要なんだろうと思っています。
「こころ」だけでなく、それが生まれる「環境」に目を向ける
ーー自他の調整がうまくいかないパターンを持った人にとって、自分を主張する力を取り戻すのが、カウンセリングの役割のひとつなんですね。
そうですね。ですから、この目の前の方にとってのうまい調整って何だろう、どうすればうまく調整できるのか、ということを考えるようにしています。それから、「それが持てる環境ってなんだろう」「そのためにこの人の環境に何があるといいんだろう」というのが、同時に起こる問いです。
「心をケアする」だけじゃ足りなくて、その人の置かれた環境にも働きかける必要があるでしょう。ただ、個人カウンセリングでは、環境を変えるように働きかけるよう本人を勇気づけることしかできないこともありますね。
けれども、自分が置かれた状況や自分の状態を認識して理解する、それだけでも変化する人だっています。「そっか、だから私はこうなっちゃってたんだ」とスッとわかると、気持ちが楽になるでしょう。そして、「なんとか自分でできそうかな」という主体性の感覚を取り戻すまで支えるーーその人自身が本当は答えを持っているはずだと信じて、一緒に考えて行くのが私たちの役割だと思っています。
ーー人のこころは、環境や他者との関係性・バランスの中でかたちづくられているものだということ。「自分が悪い」「相手が悪い」「環境が悪い」のどれかに決めてしまうのではなく、それぞれの立場を状況に応じて「調整できるようになる」ということが、主体性を持ちつつも環境に適応しながら生きて行くうえで大事なことのようです。 平井先生、貴重なお話をありがとうございました!
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