更新日 2024年08月25日 | カテゴリ: 専門家インタビュー
数ある心理療法の流派の中でも、伝統的に日本で受け入れられてきたユング派の分析。聞いたことはあるけれど、具体的にはどんなことが行われ、どんな人に向いているのか。ユング派の精神科医であり、佛教大学の教授でもある鈴木先生にお話を伺いました。
ユング派の心理療法の特徴は、無意識を取り扱う点です。無意識は目に見えないですから、本当に存在するのか、どう取り扱うのかと感じられるかもしれませんね。「無意識」の考え方は、フロイトが夢分析を通じて、無意識に性欲が抑圧されているのではないか、と考えたところからはじまりました。言い間違えや書き間違えといった現象にも無意識が関わっていて、夢の中にも性的な内容が抑圧されている、と考えたのですね。
ユングはそれを受けて、コンプレックスという概念を生み出しました。言語連想といって、100の言葉のリストについて、ひとつずつ連想する言葉を聞いていきます。それに対して何を連想するか?どのくらい反応時間がかかるか?を評価して、分析していくことで、その人が持っているコンプレックス・劣等感の存在、そして意識化されない世界、無意識の領域の存在を実証したのです。
そして、ユング派の分析で行うことは、その無意識がどんなものであるか、というのを意識化していくことです。フロイト派ではそれを言葉で表現しようとするのです。思っていることを、思いつくままに言葉にしていきます。ユングは言葉ではなく、イメージを取り扱っていきます。言葉にしにくく言語化できないものを、イメージとして表現したらどうなるか、ということから紐解いていきます。
ユング派の分析では、箱庭療法や絵画療法、夢分析などを行っていきます。どのような心理療法を受けるのかは、クライエントが決めることだと思います。誰かが強制するものではない。ただ、向き不向きはあります。言語化するのが不得意な方は、箱庭療法や絵画療法が向いているでしょうし、そのクライエントが持っているものや抱えているものは、それぞれの表現系で出てきます。夢をあまり見ない、という人もいます。そういう人は、箱庭をやってみませんか、と言うと、その人が持っているイメージを箱庭の中で表現する中で、葛藤なりコンプレックスなり、無意識が現れてきたりしますね。
夢分析の場合は、どういう夢を見たか、というのがとても大切なわけですが、ここでセッションを受けると決まった後に最初に見る夢はとても大切です。だいたいその後のすべての展開の萌芽が凝縮されていると言ってもいいかもしれません。予約した時点で、セッションがあるということを意識して、準備しようとします。その準備しようとすることが、無意識を刺激して、夢の中に現れてくるのです。
こういったものを、最初からこちらで解釈してしまうことはしません。そのイメージをもとに、本人の連想を聞きます。箱庭に例えば猿の人形を置いたら、これはなんだろうか、どんなことを連想するのか。それをセラピストとともに味わいます。セラピストが一方的に解釈をしてしまうと、その言葉に縛られて決めつけてしまいますから、あくまで本人がどういう気持ちで置いたのか、ということのほうが大切なわけです。
それから、そのイメージがどのように変化していくか、という点も大切です。作られた作品や夢を追っていくと、変化が本人にもわかります。だいぶ前とは変わってきたなぁ、ということを感じ取ったりします。それから、イメージが生まれる流れに身を委ねること。手を箱庭の砂に触れた瞬間の感触を味わったり確かめたり、自分であらかじめ決めたものではなく欲するものを手の動きにまかせて置いてもらう。そうすることで無意識のイメージが表現されてきます。それを重ねていく中で、目にみえるものができあがっていきます。
箱庭というのは、自由だけれども保護された枠のある空間です。保護された中で、自由に表現できる。安心感があるわけです。その中で自由に表現することができて、自発的に、柔軟性を持って無意識に身を委ね、無意識がいきいきと表現されてきます。それがセラピールームで表現する意義でもあります。
病態水準でいえば、精神病水準やうつ病の急性期などには向いていません。状態が落ち着いている人や慢性期または神経症圏の人ですね。
それから、ユングが最も意識していたのは、中年期クライシスにあるクライエントです。40代以降で、ある程度社会的に適応していて、家族を持って仕事でもそこそこの地位を築いた。でも中年期になってある意味先が見えてくる。人生半ばを過ぎるということは、自分の死期がわかるということです。あと40年残っている中で自分は何ができるんだろうか。逆に自分の人生はなんだったのか、考えざるをえなくなります。悩んで抑うつ的になってきても、そういう人には抗鬱剤があまりきかないこともあります。そういうときに、分析を通じて自分自身の無意識と向き合うわけです。
無意識と向き合うことには危険性もあります。猪突猛進でがんばって成功した会社の社長が、成功して一息ついてそれまでの自分の人生や無意識と向き合った結果、やはり自分は芸術に関わりたかった、と気づく。強引に周りを説得して新しい事業に挑戦した結果、本業がつぶれてしまった、という事例もある。
自分の若いころできなかったことを今やり直すということだけではなく、現実を吟味しないと危険を伴います。中年期クライシスの振り返りは、自分のできなかったことの自覚であり、死への準備なわけです。青年期や若いころに満たされなかったことをやろうとして、中年期に不倫する人も多いですね。不倫したら若いころの満たされなかった願望が果たされてそれでよかったかというと、それで家庭がめちゃくちゃになったら意味がありません。
今まで抑圧していた無意識に直面していき、その中で何を選ぶかは本人次第です。単純に抑圧されたものを解放してとびつけば良いということではなく、選び取っていく必要があります。
フロイト派の場合は、抑圧された性欲や罪悪感をどう取り扱っていくかが焦点になります。ユング派の場合は、無意識のしたに集合的(普遍的)無意識を想定します。個人的な性欲やコンプレックスだけではなく、普遍的な魂の深みを目指していく。そういうところにたどり着いて、「自我」ではなく「自己(Self)」に向かうことを、個性化といいます。自我は意識の中心であり、自己は意識と無意識をあわせた全体の中心です。本来の「自己」に至ろうとするプロセスなんです。
中年期クライシスでは、人生は何かということをつきつけられて、最終的には自己に至ることを目標とします。それが到達目標で、そこに至るプロセスが個性化の過程です。それを見つめてイメージとして扱いながら、意識と無意識、対立しながら相補う存在に、気づいていなかった部分も含めて「自己」ということに統合していく。最終的に「自己」に至ろうともがくプロセスです。その中で気づきがあったり傷ついたりするわけです。それをセラピストと一緒にやっていきます。
自分に直面するということは、見たくないものを見るというプロセスでもあります。「シャドウ(影)」とも言われますが、特定の相手に対して攻撃的になってしまう人は、自分が本来持っていて、直面するのを避けている自分の側面をその人の中に投影しているのかもしれません。シャドウの存在にセラピーを通じて気づいていくわけです。
でも「それがあなたのシャドウですね」と言語的に言われて直面化すると、きついでしょう?逃げたくなる。ユング派の分析では、これを箱庭や夢を通じて表現してもらうので、ワンクッション置けるわけです。例えば凶暴な動物が箱庭に置かれると、それを表現することを通じてやりとりが始められます。本人がその意味を吟味することから始められるんです。
そして、そのイメージが徐々に変化していく。恐竜だったものが、ほかの動物に変化していく。そうして無意識の変化が表現されていくことを通じて、癒されていきます。
深いところで宗教と心理学はつながっています。ユングもお父さんがプロテスタントの牧師で、影響を受けていますしね。本人はキリスト教に対しては挑戦的ですが、人間の心の深いところを探っていくと、宗教的なものと出会わざるをえません。宗教という拡充法を用いて、人間の魂を理解していくことはできると思います。私自身は、河合隼雄の本「明恵 夢を生きる」との出会いが、ユング派への転身につながりました。ずっと前に買っていたその本を、フロイト派としてのやり方に行き詰まっていた頃になぜか手にとりました。明恵上人が厳しい修行の中で自分を追い詰める中で、自身の夢に文殊菩薩が現れる。その頃に私自身もbig dreamを見た。それが内的な確信になって、ユング派に変わっていいのだと思えたわけです。そういう意味で宗教的な体験と捉えていますが、ユング派の夢分析でもある意味でそのあたりを掘り下げています。深い所で人間の持つ宗教性に触れていく体験です。あまりそういう言葉は使いませんけどね。
意図して出てくるのではなく、無意識が勝手に動いてくる表現や出来事。勝手に動いていくような(自律性)、人智を超えた経験でもあります。
とはいえ、ユングの考える宗教と日本人の宗教はまた違います。集合的無意識にも文化的な差があります。箱庭療法は、日本人の無意識に合った心理療法だったのだと思います。
曖昧さを許容できることや、八百万の神を信じること。昔話の構造を見ていても、玉手箱を開けておじいさんになってしまう浦島太郎。好奇心に負けてふすまを開けてしまい、出て行ってしまう鶴の恩返し。西洋の物語のように単なるハッピーエンドばかりではありません。相手の気配を察知することや、神秘的な観点を尊ぶこと、桜の満開も愛でるけれど、散っていく姿を愛でたりするようなところもあります。そういう日本人に対して、直接問題を突きつけたり直面化させるようなセラピーよりは、イメージを挟んだ心理療法というのは、向いていたのでしょう。
向き不向きはありますが、自分にあったものを選んでもらったらいいと思いますよ。やってみた上で、決めればいい。時間はかかりますが、時間をかけてそういうことにじっくり取り組む方法がある、ということです。
心理療法の治癒率は、長い目で見ると変わらないという研究もあります。効率を求めて短期的に対症療法的に行うものは、それはそれで意味があるし、長い目で見てじっくり人格的な成長・成熟を目指していくものは、それなりに時間がかかって当たり前です。無意識を知るということは自分を知るということです。自分を知るというのは口でいうのは簡単ですが、大変で大事な作業です。ユング派の分析は時間もかかるし、私はskypeなんて絶対に使わないですから、直接来てもらう必要がありますし、ここまでやってくるための手間も含めてセラピーだと思っています。効率を追い求めるよりも、人間としての営みとして何が大切なのか。人間の本質的な部分は淘汰されません。その大切さを守りたいと思っています。
セカンドオピニオンは気楽に受けにいったらいいと思います。決定権はクライエント側にあります。今のセラピストと続けるかや、どんな治療を受けるのか、相性がありますから、自分の感覚を大切にしてほしいと思います。
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