どうしてそんなことを言うの?不登校時代に母親から言われてつらかった言葉

更新日 2024年08月25日 | カテゴリ: 自分を変えたい

不登校時代は、暗いトンネルを一人で歩いていた気持ちでした。 毎日どんなに歩いてもトンネルから抜け出せずに美しい景色を眺めることもできません。 不登校生活が始まった当初は、母親との関係性もボロボロ。何を話してもすぐに喧嘩になり、まったく理解し合えないのです。 今回は、不登校時代に母親から言われてつらかった言葉をご紹介いたします。

「いつになったら学校に通えるの?」

先日のコラムでは父親と娘との関係性について触れましたが、母親と娘の関係も特別です。 同性だからこそ喧嘩したときは「遠慮」することがなく、衝突の度合いも激しくなるばかり。学校を休み始めた頃は母も仕事をしていて、朝は壮絶な戦いから始まります。

正式に長期間お休みすると決めるまでは、毎朝、学校に行くのか行かないのかを聞かれ、休むと宣言しても「いつになったら学校に戻れるの?」と言われてばかりいました。「いつになったら戻れるの?」と聞かれても、いじめた側がいる限り、学校には行きたくないのが本音です。

大人になった現在は、母がなぜそんな言葉を発していたのかが分かりますが、当時はまだ中学生で、どうして自分の気持ちを分かってくれないんだろう?と、思っていました。

「みんな、がんばっているの!」

毎朝、激しい戦いから始まります。 一番つらかったのは「もう疲れたから学校には行きたくない」と言ったときに「みんな嫌なことを我慢しながら働いているし、学校にも通っているの!」と言われることでした。

私の母に限らず、おそらくどの親も他人の子どもと比較する癖はついていると思いますが、等身大の自分を受け止めてもらえていない気がして「みんな」とか「他の子は」と言われるたびに、つらくなっていました。みんなはがんばっていても、今の自分はがんばれない…それが当時の本音でした。

「少しはがんばって起きてみたら?」

学校と話し合い、正式にお休みすると決まってからも母はいろいろと言ってきました。10年以上も前ですべてを覚えてはいませんが、不登校生活が本格的に始まり、ずっと家で寝ている状態が始まった頃に「少しはがんばって起きてみたら?」と言われるようになりました。

本人としては身体がだるいから横になっているしかないのに、母は無理やり起こそうとするのです。今は母なりに心配をしていたからと冷静に分析できますが、当時はそこまで考えが及ばず、母は元気だからそんなことが言えるんだと思っていました。

不登校は、本人も両親にとっても初めてのことです。 学校に通えない状態になるとは誰も思っていませんでした。

だからこそ、不登校になったこと、心が疲れきってしまったことをみんなが受け止めるまでは、かなりの時間がかかりました。 しかし今は、家族みんなで乗り越えたこともあり、それぞれが「生」や「死」を深く捉えながら毎日過ごしています。

今、家族との関係が安定していなくても、トンネルを抜けたら、またみんなで穏やかに過ごせるときが必ず来ます。それまでは、喧嘩をしつつ、ゆっくりと時間をかけながら、大きな壁を乗り越えましょう!

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