うつ病の減薬と離脱症状の苦しみ:体験記と学んだこと

更新日 2024年08月21日 | カテゴリ: うつ病・憂うつな気分

精神疾患を抱える人たちの多くは、精神科医や内科医の診断のもと、多種の薬を処方され、長い間服薬する人も少なくないでしょう。

病気と闘い、仕事のストレスとの向き合い方、生活習慣・食生活などを見直し、徐々に回復に向っている状態になったとき、

「そろそろうつの薬をやめたいな」

と思うときがやってきます。

そのままでいいと思う方はもちろんいらっしゃると思いますが、これはその頃に向き合うであろう減薬のお話です。

減薬に直面して初めて知ること:離脱症状

症状が安定してくれば、主治医も承諾の上、減薬に臨む人もいると思います。そのときになって初めて、

・主治医から薬の説明を受けなかった
・飲み始めた頃には知らなかったことが起こった
・離脱症状については知ってはいたつもりだったが、こんなものとは思わなかった

という人たちの声をお聞きすることがあります。かくいう私もその一人でした。

主治医にも聞かされていなかった、思っていた以上の減薬のしにくさ=減薬に伴う離脱症状に悩まされることの可能性があることを皆さんに知ってほしいのです。

薬を飲むこと自体を否定しているのではありません。病気と闘うために、服薬することは精神疾患をもつ私たちには強い味方にもなってくれます。薬を処方してくれる主治医だけでなく、薬を飲む本人=患者自身の方にもその薬が

・どのような作用があり
・どのくらいで効き始め
・どのくらいの期間効くのか

などの情報を事前に知っておくことがいかに重要かをわかっていただきたいのです。

そして、薬をやめるとき、どんなことが起こるのか。

体験した私の苦悩を知っていただき、あなたが飲む薬にも興味が持てるようなきっかけになればと思います。

減薬のための心構え

初めに結論を言います。それは 3 つです。

そのことさえ、検討できていれば、減薬に苦しむことも少なくなるでしょう。それは

1. 減薬を進めるにはそれに詳しい医師を探す
2. 減薬の離脱症状はあくまで人それぞれ、自分にあったやり方を探す
3. 無理をしない、離脱症状が出たら、前に戻る~三歩進んで二歩下がる気持ち~
です。

では順を追って、私の体験を踏まえながらお話します。

1. 減薬を進めるにはそれに詳しい医師を探す

うつ病として診断された私は主治医の指示のもと、約2年間の休職と服薬・静養、リハビリ期にはリワークの活用によって、無事に復職することができました。

それから3年、体や心の波を乗り越え続けて、ようやく安定して仕事ができるようになりました。

そんな順調な感覚を肌で感じるようになってきたとき、自分の中で、減薬したいという気持ちが芽生えてきました。

眠気や便秘などの薬の副作用ともお別れしたいという期待から、

「元気になってきたので、そろそろ薬を減らしたいのですが」

と主治医に伝えました。主治医は慎重に事を考えてくれているように見え、

「波がくるかもしれないから、もう少し様子を見よう。」

と言いました。

主治医が言うならと思い、そのまま半年が過ぎました。その間も順調に仕事をこなし、大きな落ち込みもありませんでした。そして、再度、

「元気になってきたので、薬を減らしたいです」

とはっきり告げると主治医は

「そうですか、なら、何から薬を減らしたいですか?」

と言ったのです。

『え!?自分で選んでいいの?ていうか、順番とかないの?』と正直ショックでした。

5年半の間、主治医として信頼し、言うことを聞いてきた人の言葉かと一瞬よぎりました。それでも信頼していた先生でした。

このままでいいのかと思いながら、私が思う薬を先生に告げて、診察は終わりました。その後、自分で決めた薬を減らしたまま、半年ほど通い続けました。

それでも薬のやめ方がどうしても気になり、ことの展開を私の家族に相談しました。出た結論は、きちんと減薬の指示ができる医師はいないのか、今の主治医を否定するわけではなく、【主治医を見直すチャンス】と捉えることでした。

私の通っていた診療所は駅前に新しくできた、中はアメリカドラマで見たような、ある意味オシャレな雰囲気でした。初診のときは、患者も少なく、話も丁寧に聞いてくれていた印象でした。

しかし、時がたつに連れ、徐々に患者も増えていきました。

3年が経過するころには患者が待合室にあふれ、診察も雑になっていき、何かなければ、そのままでといった対応になりました。

その間にも不眠やレストレスレッグス症候群になったりしました。そのたびに睡眠薬や対症薬が追加で処方され、症状がおさまったのか確認もしないまま、気づけば、7種類もの抗うつ薬、抗不安薬や睡眠薬を服薬するようになっていました。
このときの私は主治医の言うことさえ聞いていれば大丈夫と思っていました。

後になってわかったのですが、このころ精神疾患の判断基準のDSM-Ⅳに代わり、精神疾患の定義が見直されて、うつ病と診断される患者の方々が増えていたのだと思います。

おそらくですが、私が通っていた診療所だけではなく、その対応に追われている精神科や心療内科はたくさんあったのだと思います。急な患者の増加とそれに追いつけない状況、仕方のない状態だったのかもしれません。

また、主治医はとても若い先生(見た目は 30 代)であり、精神科医としての経験が少なく、減薬をするまでの一連の流れを把握できていなかったのだろうと思えました。

その後、主治医には、設備やカウンセリングが充実した病院へ転院することを正直に伝えました。主治医は納得してくれ、紹介状を書いてくれるとの約束をしてくれました。

今の主治医とお別れをするまでの間に、新しい主治医を見つけようしていたとき、近くに新しい心療内科ができたことを知りました。次は慎重にと決めていた私はその心療内科の調査をしました。

そこは、県内に大きな精神科専門の救急センターを持っている病院の、系列病院でした。早速、予約をとり、診察室に入り、先生との話をしました。

セカンドオピニオンであること、減薬を希望していることなどを伝えると、先生は

「今の病院でも構わないし、こちらに移っても構わない、自分で決めたらいい」

と言ってくれました。

無理に患者に意見を押し付けない姿勢と、薬についてたくさんの情報を教えてくれたこと。この先生に決めようと思いました。

この先生のような、減薬について詳しい医師は少ないのだそうです。だからこそ、きちんと探して、話をして、納得して一緒に歩んで行けるかどうか。直接調べる必要があるのです。

こうして、私の、本当の減薬がスタートしたのです。

2. 減薬の離脱症状はあくまで人それぞれ、自分にあったやり方を探す

新しい主治医はまず飲んでいた数種類の薬から、ピンポイントにある薬を選び、

「この薬から始めよう」

と言いました。選んだ理由を聞いてみると、一番やめにくいものだからと。

そのときは、先生にも減薬の意思を伝えてあるから大丈夫と思い、

「はい、わかりました」

と言ったのを覚えています。

自分の処方されていた薬の副作用については一通り調べていました。しかし、私は主治医のいった『やめにくい』という言葉を完全にスルーしていました。

減薬開始1ケ月目、主治医の指示してくれた薬を 4 分の 1 減らしました。この1か月は至って順調でした。この調子ならすぐに減らせると思えました。

減薬開始 2 ケ月目、さらに最初の 4 分の 1 を減らしました。(最初の半分の量になる)2 日後から、仕事で疲れているのに、眠れなくなりました。不眠になることは今までもあったし、たまには眠れないときもある、と思っていました。それから、5日間、午前4時あたりまで起きていました。1週間後から、頭痛、耳鳴り、めまいが始まりました。

このころから、なんか変だな、と思い始めます。しかもどんどん症状は悪化。

2週間後には頭痛、眼痛、背中の筋硬直、ひどい耳鳴り、めまい、ふらつき、光がまぶしいという複数の症状に見舞われました。

なんとかしたいという思いから、減薬している薬が悪いと思い、一気に断薬してしまいました。それが、さらにひどい状態を招くことも知らずに。

3週間後には上記症状がさらに悪化し、普通の生活を送るのにぎりぎりの状態になっていました。これは絶対おかしいと思い、ネットで情報収集を始めました。

するとすぐに、私が減薬している薬が依存性があるということ、離脱症状という、薬をやめる時に様々な症状が起こることが書いてありました。さらに私と似た離脱症状に悩む方がたくさんいて、みな離脱症状から薬をやめることに苦労し、何人かは断念していることも書かれていました。

だったら、それを含め、乗り越えてやる!と思ったのですが、離脱症状は耐え難い苦痛であり、かなり精神をすり減らされるばかりか、会社にまでいけなくなってしまいました。

あまりの苦しさに、薬を飲めば楽になるといった変な考えまで生まれてきました。これはさすがにまずいと思い、薬をもとの量に戻しました(最初の半分の量)。しかし、量を戻したのにもかかわらず、離脱症状は一向に治りません。

このままだとせっかく苦労して復帰したのに、また会社を休んでしまうという恐怖にかられました。どうしても調べずにいられなくなり、とにかく何か手がかりはないかとネット検索を進めていくと、1つの論文に辿り着きます。

それが、『アシュトンマニュアル』でした。

藁にもすがる思いというのはこのことかという感じで、無理を押して読んだ内容では、私が体験したような離脱症状は、例えると、麻薬などの薬物依存と同じようだと記載されていました。

4週間後、とにかく話がしたいと思い、主治医の元を訪れ、その症状を伝えました。主治医は話を一通り聞き、言いました。

「こんな早くから現れるとは思わなかった、薬を1か月前の状態(最初の半分)で続けるか、元気だったころの量(最初の4分の3)に戻すか、決断してください。」

なぜ最初にその離脱症状などが起こるのか教えてくれなかったのか、そのとき、若干の怒りを覚えました。今考えてみると離脱症状に関して、十分な知識がなかったのか、それとも怖がらせて、そのせいで離脱症状がでてしまうのを恐れたのか、さだかではありませんでした。この症状は何なのですかと主治医に聞くと、それは薬の離脱症状というもので、

・離脱症状は人によってさまざま
・離脱症状がでる薬の量もさまざま
・急にやめると症状が悪化する

ということでした。

この話から、私は、減薬による離脱症状というのは、主治医ですら予測できないことを知りました。そして、私の苦し紛れに行った急な断薬はよくないこと、減薬は自分自身に合ったやり方が大事であることを学びました。

3. 無理をしない、離脱症状が出たら、前に戻る ~三歩進んで二歩下がる気持ち~

最初にかかっていた心療内科では、薬に関してほとんど説明がなく、いつでもやめられるといった話をしていました。そんな薬も中にはあります。しかし、私に処方されていた中で、次の主治医が、最初に減薬の指示をしてきた【やめにくい薬】。それはベンゾジアゼピンという種類の薬でした。そのベンゾジアゼピンについて、多くのことが書かれているのが先ほども登場した『アシュトンマニュアル』です。

『アシュトンマニュアル』は世界 11 か国に翻訳され、日本語版もネット上で無料で入手することが可能です。その論文によると、このベンゾジアゼピンという薬は抗不安作用や睡眠の促進、筋弛緩作用などの治療上の作用があること、そして、長期使用により、有害な作用をもたらすことも記載されています。

また、『アシュトンマニュアル』を日本語に翻訳された田中涼氏やウェイン・ダグラス氏は両者とも、ベンゾジアゼピンの依存性や離脱症状に苦しんだ経験をされていて、この論文の良さを誰よりも理解されています。上記のお二人が体験した、何の情報もなく、漫然と離脱症状が出て、それを誰にも分ってもらえなかった状況はとてもつらいものだったと思います。そのおかげで、私はこのマニュアルを日本語で読むことができ、離脱症状について、「知る」ことができました。とてもありがたいことです。

このマニュアルを読んで、薬の作用など詳細なことまで知ることができました。詳細はマニュアルをご覧頂くとして、私自身、一番印象に残ったことをお伝えしたいと思います。

それは焦ることなく、自信を持つことです。
忍耐強くなることも記載されていますが、これは離脱症状を我慢することではなく、減薬のスケジュールを急ぐのをこらえて、自分のペースで という意味です。この内容に私はとても励まされました。我慢してやめなくてもいいんだ、ゆっくり時間をかけてやるものなんだと。

だから、自分のペースで無理をしないこと、離脱症状がでたら進むのではなく、勇気を持って現状を維持することや前の量に一度戻して、再度少ない量で調整するなどです。そうすればおのずとやめられるときがやってきます。

以上が私がお伝えしたかった内容です。

この情報が、減薬で不安を抱えている方々のお役に少しでも立てればと思っております。

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