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うつ病発症から治療にたどりつくまでの苦難ー体験記と学んだこと【前編】

更新日 2016年06月24日 |
カテゴリ: うつ病・憂うつな気分
うつ病発症から治療にたどりつくまでの苦難ー体験記と学んだこと【前編】 >>【後編を読む】先の見えない治療とうつ病と向き合う苦難ー体験記と学んだこと

今回、うつ病当事者の方にうつ病と向き合う苦しみや悩みをインタビューしてきました。まだまだうつ病への理解が低く、誤解も多い病気ですが、より多くの方に実態を知って頂きたいとの思いから、ご協力頂きました。

うつ病当事者 佐藤 健太様(仮名)
・性別:男性
・年齢:30歳前半
・職業:IT関連企業の会社員(罹患当時)
・状態:寛解間近

ーーこの度はインタビューをお受けいただきありがとうございます。うつ病になられてからどれくらいですか?


概ね5年ほどです。新卒で入社したIT企業在籍時に発症し、現在に至ります。

ーー当時、どうしてうつ病だと思われたのでしょうか?


最初に心身の変調を感じたのは、朝起きれなくなったことでしょうか。ハッキリとは覚えてませんが、普段よりも体が重く、起きるにもかなりの気力が必要でしたね。それから、社内で仕事をしていても周りの話し声が全て自分の陰口を言っているんだろう、といった極端な受け取り方をするようになっていました。当時の社内情勢は割愛しますが、会社の方針に対して反対意見を言う少数派に属していたため、一部の社員間で私の陰口が囁かれていることは把握していました。全然気にしていなかったのですが、朝起きれなくなってから次第にそのような受け取り方をするようになったんです。

段々その受け取り方も過激になって行き、仲の良い同僚や上司にも不信感を持つようになり、用も無いのに外出予定を入れるなど、なるべく社内にいないようにしていました。一日中喫茶店でボーッとしていたこともありました。

当時は「考えすぎだ」「ただ落ち込んでいるだけだ」なんて思っていたのですが、出勤時、電車を待っている時に毎回胸が痛くなったり、自分は存在価値が無いんじゃないんだろうかと考えたり、人の話に対する反応が鈍くなるといった状態が出てきた時に「これはひょっとしたらうつ病かも?」と考える様になりました。

ーーそのような変調を感じてから、どのような行動を起こしましたか?


しばらくはその状態を放置していた、というか耐えていました。病院に行くわけでもなく、ただ「自分は強くならなければならない」という考えだけで、自分を叱咤激励していましたね。 また、私自身が「うつ病」は甘えで弱い人が罹患する情けない病気だ、という思い込みもありましたし、周りも同様の考え方だったので、意識的に排除しようと務めていたように思います。

ーーそうですか。その様に耐えていると心身の変調も悪化したのではないですか?


見事に悪化していきましたね。人と目を合わせるのが怖くなったり、喜怒哀楽の表現が乏しくなったり、社内にいる時に動悸が発生したり、注意力散漫になりミスを頻発したりなど、酷い有様だったと思います。

ーー他にはどんな変調を感じられてましたか?


慢性的な頭痛、何をするにも意欲が沸かない、不眠と過眠、性欲の低下、食欲の低下、全身の倦怠感、希死念慮などが顕著でした。これは感覚的な話なのですが、脳にラップが巻かれているような感じなんです。情報が一切入ってこないというか、アクセス遮断されているような感じなんですよ。結果、会話に反応できない、パソコンも見ているだけで何をしていいのか考えられない、食べたいものも思い浮かばない、という状態になっていました。身体だけシステマティックに生きているだけで、中身はからっぽ、みたいな。

ーーそれからずっと耐え続けたのでしょうか?


いいえ。毎日「死にたい、消えたい、辛い」といった考えばかりが浮かんでくるようになると、流石にマズイなと。なので、会社の産業医さんに相談しました。そうしたら、「うつ病」が疑われるので紹介する精神科に行ってくださいと。

そこで、はじめて「うつ病」と診断されました。

ーー「うつ病」と診断された時はどんな心境でしたか?


その時は、ホッとしました。自分ではうつ病なんだろうか?そんなことは無い、自分が甘えているだけだ、などモヤモヤした葛藤があったので、ハッキリと言われることで「ああ、そうだったんだ」と。また、病気として認識されたことで「治療可能なモノ」なんだという安心感のようなものを感じました。

ーーその後、会社での変化はありましたか?


当時在籍していた上長がうつ病に対する理解に乏しく、産業医さん含めて私の症状を報告したら、以前とはまた違った「腫れ物扱い」を受けたんですね。とりあえず、私には触れないでおこうというスタンスで、会話も最小限、与えられる仕事も雑用ばかりといった感じでしたね。その部署のメンバーも私の病気のことを知っていたのですが、同様の対応をされ、私自身はより自分の存在意義を見出しにくくなり、会社も休むようになってしまいました。たしか、1週間のうち、3日は休むようになっていたと記憶しています。

しかし、そんな中でも理解してくれる人はいたんですよ。私の事を気遣ってくれて、色々サポートしてくれた人が。 なので、その人の部署への異動願を出しました。

会社としても、うつ病を罹患した社員を扱うのは初めだったこと、当時の部署の上司も即OKを出したこと、理解してくれる人も受け入れを即OKしたことなどが重なり、すぐに異動することができました。

ーーそれは良かったですね。その後病状は回復に向かったのでしょうか?


一旦、落着きを取り戻しました。服薬していたことも影響しているとは思いますが、私の病状を理解してくれている分、適切な業務配分やコミュニケーションをして下さったので。 数ヶ月は無理なく仕事出来ていたと思います。しかし、次第に以前と同じような状態に落ち込んでいってしまったんです。

ーーなにかキッカケがあったのでしょうか?


キッカケと呼べるものはありませんでした。しかし、理由は分かってます。うつ病を患っている私を受け入れてくれた上司に『なんとしても恩返しをしたい』という思いが強すぎて、自分をどんどん追い込んでいってしまったことですね。 無理をしなければ良いのに、どんどん仕事に取り組み結果を出そうと必死でした。 しかし、集中力もまだ散漫で、体力も落ちている状態だったのでミスも多く、怒られる頻度も増えてきてしまったんですね。 そのたびに自分を叱責して、落ち込んで、死にたい、と考えて、という悪循環になってしまいました。その影響なのか、円形脱毛症にもなりました。

ある日、いつものごとくケアレスミスをしてしまい、上司に会議室で注意を受けたのですが、その時に泣いてしまったんですね。入社してから一度も泣いたことはなかったので、自分でも驚いたのですが、そこが私の限界でした。

その後、休職願を出しました。あの時は本当に糸が切れた事を実感した瞬間でした。もうダメだ、と思ったんです。

ーー休職するようになってからどうでしたか?


ずっと家に篭もる生活でしたね。睡眠時間もバラバラで、眠くならなければ寝ないし、寝たら寝たで20時間くらい起きない事もありましたし、食生活もめちゃくちゃでした。 休職当時は夏場だったのですが、就寝中に極端な寒気に襲われ、深夜から朝にかけて浴室でずっとシャワーを浴びていたこともありました。自律神経がよっぽどおかしくなっていたのだと思います。

ーー家族や友人など親しい人たちの反応はどうでしたか?


恋人や友人は拒絶反応なども無く、ゆっくり治せよ、治そうよ。という反応でしたね。しかし、両親はちょっと違いましたね。やはり「うつ病」という病気を、一昔前の「精神病」と同様の捉え方をしたようで、要するに「気が触れている」「キチガイ」「おかしな奴」という先入観が強く、最初は受け入れようとしませんでした。

疲れているだけで病気じゃないよ、うつ病なんて病気は存在しないでしょ、といった反応だったと思います。
うつ病はメンタルが弱い人がなる人だという考えもあり、我が子がまさかうつ病に罹るなんて、と思ったのでしょう。
なかなか理解を示してくれず、とてもショックだったことを覚えています。
今はようやく理解してくれたみたいで、互いに歩み寄れたかなと安堵しています。

>>【後編を読む】先の見えない治療とうつ病と向き合う苦難ー体験記と学んだこと
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